2020年11月7日

全身麻酔してきました

 ある手術をすることになり、初めて全身麻酔を受けた。

手術自体は2泊3日で済む、医者いわく簡単なもので(実際は土日を挟んだので4泊5日)、この経緯に関してはいつかその気になったら書くかもしれないけど、今回は全身麻酔がどうだったかを覚えておきたいので記しておく。


全身麻酔を受けることになったとき、少し不安に思ったのは全身麻酔から目覚めてこないこともあるかも?ってこと。

全身麻酔で死亡する確率は何調べか知らないけど10万人に1人というのを見たことがある。

全身麻酔の仕組みはまだ解明されていないらしい。

麻酔科の診察を受けるときも、がっつり危険度についての承諾書を書かされる。

だからって遺書を書くのも大袈裟だしなー、と思いながら緊張してその日を待った。


手術が近くなるともうお任せするしかないという気持ちになっていった。

それより手術後はしばらく動けないのでヨガしておこう、と土日は病院の中庭で練習した。

そして手術当日の月曜日。

病院では手術は難しいものからやっていくということなので、私の順番はその日の最後、夕方の17時からになった。

朝から点滴をつけて、飲食禁止でひたすら17時まで待つって暇すぎる。。。

17時10分前くらいにやっと手術室に呼ばれた。



手術台は暖かくて気持ち良い。

フカフカのお布団に横になる感じ。

麻酔はマスクからガスのようなものが送られてくるということだった。

どのくらいで意識がなくなるのかなと思って、割と長めのマントラ Devi Mahatmyamを唱えると決めていた。

「麻酔始まりますよー」と言われてマントラを唱え始めた。

麻酔医師「そろそろボーッとしてきたかな?」

私「・・・いえ、まだバッチリ目が覚めてます」

どこまでマントラ唱えたっけ?話しかけられてわからなくなったんで、最初からやり直し。

麻酔医師「そろそろ〜」

私「まだ〜」

のやり取りを3回したところまでは覚えている。

話しかけられてはやり直しを繰り返したので、どこまで唱えたのか覚えていない。

気づいたら名前を呼ばれて「終わりましたよー」だった。


ヨガの考え方としては、起きている状態、夢を見ている状態、深い眠りの状態は同じだと言われる。

特に起きているときと夢を見ているときは、両方とも思考を通して物事を受け止めている。

思考(心)は変化するもので、心=『私』ではない。

見つめる意識だけが真の『私』

それに気づくことが悟りであり、自己からの解放、苦しみからの解放となる。


全身麻酔がとけ名前を呼ばれた瞬間、バチッと目が覚めた。

麻酔から覚めると気持ち悪くなって吐いたっていう話を何人かから聞いたけど、私はびっくりするくらい良い目覚め。

爆睡した後のように、すっごくよく寝て気持ち良かったーという感じだった。

自発呼吸さえも止まっていたにも関わらず、気持ち良かったと知っているって、、、

そこに『私』がいたってことか。

体でもなく呼吸でもなく、心でもない『私』。


目覚めた直後、気持ち良すぎてなんだかよくわからない活力が湧いてきた。

あー、体を動かしたい!(声に出していたと思う)

とっさにスプタパタングシュタアーサナ(仰向けで片足を上に伸ばして足指を掴むポーズ)、セツバンダアーサナ(橋のポーズ)、マツヤアーサナ(魚のポーズ)を手術台の上でやっていた。

動くって、気持ち良い〜!

そこにいた人達の反応はうろ覚えなんだけど、主治医の先生が「鈴木さんはヨガの先生なんで」って他のお医者さん達に説明しているのが聞こえた。

他の医者や看護師さん達がびっくりしていたんだと思う。

後から考えると、その時は酸素マスクも尿の管も心電図も点滴も付けたまま。

そしてワンピース型の手術着なので足を上げたらパンツが丸見えの状態。。。

どうなんだ、それ。(どうせ手術中は全裸見られてるんだけど、笑)


その後ベッドのまま運ばれて病室に着いたのが18時過ぎくらい。

点滴、酸素マスク、尿管への管、静脈瘤を防ぐための足のポンプはそのまま。

麻酔から覚めてくると無性にトイレに行きたくなってくる。

私「おしっこしたい〜。これって出してもいいんですか?」

看護師「管繋がってるから大丈夫、よく出てますよ〜」

「あと3時間くらいはこのままね」

ここからが忍耐だった。

足が暑くて寝られないし、尿意は常にあり。

酸素マスクは途中から自分で外しちゃって、起き上がってiPhoneを取り出した。

気を紛らわせるためにニュースとか見ながら時間が経つのを待つ。


21時の消灯でナースコールして「これってもう外せますか〜?」

やっと点滴だけになった。

歩くのは大丈夫。

とにかくトイレに行っておしっこ。

出ない〜!そして痛い〜!

夜3回トイレに行ったけど、全部で100mlくらいしか出なかった。

丸1日水分取ってないからそりゃそうか。

その後翌日くらいまではトイレが近くて、そして我慢が効かないっていう状態が続いた。

おしっこするときの痛みも翌日の午前中くらいまであった。


翌朝7時半の朝食。

32時間くらい食べ物を口にしていなかったんだけど、あまりお腹は空いていなかった。

それよりも呼吸のために入れた管で喉をやられたらしく(出血したと医者が言っていた)、喉が痛い。

固形のものを食べるのが辛いので、戸棚に隠し持っていたゼリーを食べた。

主治医と麻酔医師の診察を受け、点滴を外して退院。

手術部分の痛みは全然なく、麻酔の影響も喉の痛みと尿意以外はない。

2週間はあまり動かないようにと言われているのに、耐えるのが大変かも。。。

実家に帰って母が作ってくれた雑炊とゼリーをぺろりと平らげた。

しばらく消費カロリーよりも摂取カロリーの方が多い日々が続くんだろうな〜。


病院から見たブルームーン


2020年11月4日

ナマステVOL.26 書きました

ネタが尽きてきて、毎回絞り出して書いてます〜。

https://hatisari.blogspot.com/p/blog-page_9.html


今回のコンテンツ

- インドの甘〜いデザート

- 2021年うし年に向けてキャット&カウを極めよう! 

- 魔法のランプ!?

- おまけ インドの猿 ハヌマン・ラングール




2020年11月1日

スタジオ10周年

スタジオを始めて満10年になった。

スタジオというのは私が続けたくても来てくれる人がいなければ消滅するもので

クラスに参加してくれる皆さんのおかげ。

感謝の言葉をこちらに載せました↓↓

https://www.yogashala-hama.com/2020/09/blog-post_30.html


10年ということで自分の備忘録として歴史を振り返ると、、、


2010年7月に半年間のヨガ旅から戻り、それまで勤めていた会社も離れることが正式に決まった8月、友人のジュリアとスタジオをやろうという話になった。

私は公民館でやっていたクラスを半年ぶりに復活し、数ヶ月後の10月にオープンしたヨガシャラ浜松(上島)にそのクラスを半分移動。もう半分は志都呂の貸しスタジオへ。


順調にスタートしたスタジオだったけど、翌年3月にジュリアは家族の仕事で九州に引っ越すことになった。

家賃折半、場所はジュリアの住んでいる建物ってことで決めた上島。

離れるジュリアも辛かったと思うけど、私にとっては続けていくのに不安要素しかなかった。

物質的な場所なんてなくてもヨガは伝えられる、スタジオを手放そうかと思っていた時に水漏れ事件が発生。

スタジオが入っていた建物の上の階で水道の水が出っぱなしになって、スタジオ内が水浸しになったのだ。

苦労して書いたスタジオの壁の絵が水で流れかけているのを見てもう少し続けよう!と思った。

どういう思考回路か謎。


その後は何人かのインストラクター来てもらい、上島に5年いた。

家賃の支払い、他の先生とのコミュニケーション、駐車場のこと、、、日々夢中でジェットコースターみたいな毎日だったなーと思う。

2014年に長期入院することとなり、このままのスケジュールではいけないと思って2015年9月に西山に引っ越すことにした。

それのすぐ後に志都呂も西山へ統合。

家賃が抑えられて無理して他のインストラクターに来てもらわなくてもやっていける場所、気心知れた友人の家の一角を借りることにした。


西山での5年はメリーゴーランドって感じかな。

自分のペースで上げたり下げたりコントロールできて、多少の風は吹くけど安定して動いていける。

いろいろあった気もするけど、それでもこの場所は淡々とここに在るって感じ。

私自身の探求はディープなところへ向かっていって、ちょっとマニアックな雰囲気を醸し出すスタジオにもなってきたかも・・・?

物事は常に変化していくもので、これからどうなっていくかもわからないけど、なんとかなるんだろうなーと思う。


ヨガを伝えることが仕事になっているけど、修業者であることが基盤。

代々伝わる教え、自分が受け取ったものと向き合って、繋げていくのが私のダルマ(役割)なのだと思う。