シネマイーラで映画『永遠のヨギー』を観てきた。
これの前に上映されている映画との入れ替え5分!
大手のヨガスタジオでもこんなキツキツの入れ替えスケジュールないよ。
シネマイーラ、すごい。
この映画は、インドからアメリカに行き、ヨガを広めたパラマハンサ・ヨガナンダの生涯をたどったもの。
元になっている本『あるヨギの自叙伝』は分厚くていろんなエピソードが書いてある本で、これをどんな風に映画にするのかなーと思っていたんだけど、本とは別ものといった感じだった。
子供の頃やインド時代の話が多く含まれる本に対して、映画は当時の映像など(特にアメリカに渡った後)を元にしたドキュメンタリー。
映像や写真がたくさん残っているのに驚いた。
ヨガナンダの目の深さ、師スリ・ユクテスワとの再会の場面、ユクテスワとの別れなど、目で見ることができて大感激!
ヨガナンダは本当は生涯ヒマラヤの奥地で瞑想して平穏に生きたかったという。
だけど、マハアバター(神の化身)であるババジのお告げで「アメリカに行ってヨガを広めよ」と言われたため、師スリ・ユクテスワのもとを離れてアメリカへ向かう。
その頃は世界大戦の前で、アメリカが物質主義になり始める頃。
映画の中で原子力時代に入った頃と言っていたと思う。
広島の原爆投下の映像も出てきた。
科学が進歩するほど、争いが蔓延していく。
そんな中に、穏やかさや静けさ、調和、喜び、人間の本質を追求することが必要だとして、ヨガナンダはヨガを広めていった。
今の世界は争いが多くなっている。
少し前なら世界に紛争が起こっていても日本は別、平和な国だという気がしていたけど、もうそうじゃない。
この映画を見た7月10日は参議院選挙の日だった。
日本もどこに行くのか不安になる。
平和や自然と共存することが見えなくなりそうな今、ヨガを少しでも広めたいと思った。
この映画も多くの人に見てもらいたい。
ヨガをすること=自己の本質を見つめること、これで争いごとが世界からなくなるのかと言ったらそれは難しいかもしれない、理想に過ぎないのかもしれない。
だけど、一人一人に小さな種をまくことはできるんじゃないか。
ヨガの本質を広めていくのに困難があるというのが映画の中でよく分かる。
聖者ヨガナンダでさえ、アメリカで誤解をされたり仲間と離れたりして苦悩する。
このことは本の中にはほとんど出てこなかったので、映画を観て驚いた。
それでも自分の信じる道を行き続ける。
マハ・サマディ(自分の肉体を離れる時)に入る前のヨガナンダの顔は、師ユクテスワがそうであったように穏やかで神々しい。
ユクテスワとヨガナンダの関係を見て、師と弟子ということについても考えさせられる。
原作の本だと、またその師のラヒリ・マハサヤ、その師のババジについても多く触れられている。
真の師は弟子を師に向かわせるのではなく弟子自身に向き合わせると言っていた。
私を導いてくれるクライブに出会ったことに感謝する。
そしてクライブの師、またその師、、、とインドの叡智が受け継がれてきたことにも身震いがする思い。
ただ私の場合はまだ先が長すぎて、時々頭がクラクラするけど(笑)
何人かで映画を見に行ったんだけど、その中の1人の感想。
「映画は深かったけど、ヨガはほとんど出てきませんでしたね」
私はこの映画全体がヨガだと思ったからその感想にびっくりしたんだけど、ヨガってまだ体を動かすもの、ポーズを取るものだと世間では考えられているんだと改めて思った。
ヨガナンダはクリアヨガという技法を用いてヨガをアメリカに広げたんだけど、それは身体を通じて心を知る、意識を広げること。
「意識を広げる」映画の中の最後の言葉。
映画の途中でメモを取りたくなるくらい印象的な言葉が多かったけど、終わると忘れちゃう。
早くDVD出ないかな〜。
映画のエンディング曲はアラニス・モリセットだった。
20代の頃、大好きで何度かライブコンサートにも行ったっけ。
懐かしい声〜
これの前に上映されている映画との入れ替え5分!
大手のヨガスタジオでもこんなキツキツの入れ替えスケジュールないよ。
シネマイーラ、すごい。
この映画は、インドからアメリカに行き、ヨガを広めたパラマハンサ・ヨガナンダの生涯をたどったもの。
元になっている本『あるヨギの自叙伝』は分厚くていろんなエピソードが書いてある本で、これをどんな風に映画にするのかなーと思っていたんだけど、本とは別ものといった感じだった。
子供の頃やインド時代の話が多く含まれる本に対して、映画は当時の映像など(特にアメリカに渡った後)を元にしたドキュメンタリー。
映像や写真がたくさん残っているのに驚いた。
ヨガナンダの目の深さ、師スリ・ユクテスワとの再会の場面、ユクテスワとの別れなど、目で見ることができて大感激!
ヨガナンダは本当は生涯ヒマラヤの奥地で瞑想して平穏に生きたかったという。
だけど、マハアバター(神の化身)であるババジのお告げで「アメリカに行ってヨガを広めよ」と言われたため、師スリ・ユクテスワのもとを離れてアメリカへ向かう。
その頃は世界大戦の前で、アメリカが物質主義になり始める頃。
映画の中で原子力時代に入った頃と言っていたと思う。
広島の原爆投下の映像も出てきた。
科学が進歩するほど、争いが蔓延していく。
そんな中に、穏やかさや静けさ、調和、喜び、人間の本質を追求することが必要だとして、ヨガナンダはヨガを広めていった。
今の世界は争いが多くなっている。
少し前なら世界に紛争が起こっていても日本は別、平和な国だという気がしていたけど、もうそうじゃない。
この映画を見た7月10日は参議院選挙の日だった。
日本もどこに行くのか不安になる。
平和や自然と共存することが見えなくなりそうな今、ヨガを少しでも広めたいと思った。
この映画も多くの人に見てもらいたい。
ヨガをすること=自己の本質を見つめること、これで争いごとが世界からなくなるのかと言ったらそれは難しいかもしれない、理想に過ぎないのかもしれない。
だけど、一人一人に小さな種をまくことはできるんじゃないか。
ヨガの本質を広めていくのに困難があるというのが映画の中でよく分かる。
聖者ヨガナンダでさえ、アメリカで誤解をされたり仲間と離れたりして苦悩する。
このことは本の中にはほとんど出てこなかったので、映画を観て驚いた。
それでも自分の信じる道を行き続ける。
マハ・サマディ(自分の肉体を離れる時)に入る前のヨガナンダの顔は、師ユクテスワがそうであったように穏やかで神々しい。
ユクテスワとヨガナンダの関係を見て、師と弟子ということについても考えさせられる。
原作の本だと、またその師のラヒリ・マハサヤ、その師のババジについても多く触れられている。
真の師は弟子を師に向かわせるのではなく弟子自身に向き合わせると言っていた。
私を導いてくれるクライブに出会ったことに感謝する。
そしてクライブの師、またその師、、、とインドの叡智が受け継がれてきたことにも身震いがする思い。
ただ私の場合はまだ先が長すぎて、時々頭がクラクラするけど(笑)
何人かで映画を見に行ったんだけど、その中の1人の感想。
「映画は深かったけど、ヨガはほとんど出てきませんでしたね」
私はこの映画全体がヨガだと思ったからその感想にびっくりしたんだけど、ヨガってまだ体を動かすもの、ポーズを取るものだと世間では考えられているんだと改めて思った。
ヨガナンダはクリアヨガという技法を用いてヨガをアメリカに広げたんだけど、それは身体を通じて心を知る、意識を広げること。
「意識を広げる」映画の中の最後の言葉。
映画の途中でメモを取りたくなるくらい印象的な言葉が多かったけど、終わると忘れちゃう。
早くDVD出ないかな〜。
映画のエンディング曲はアラニス・モリセットだった。
20代の頃、大好きで何度かライブコンサートにも行ったっけ。
懐かしい声〜
0 件のコメント:
コメントを投稿