2025年9月20日

リトリート無事終了、そしてチェンナイ*2025年インド*スリランカ*バリ島

南インドヨガリトリートが無事に終わりました。
リトリートの様子はヨガシャラ浜松ウェブサイトに載せています。



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今回の旅は、インド→スリランカ→バリ島へ。
途中で乗継のための2回のシンガポール入国も入れると4ヵ国。
約1ヶ月の長めの旅になった。

まずは南インドヨガリトリート。
ここでは詳細は書かないけど、たくさんの充実感といくつかの改善点あり。
自分が運営するリトリートは、参加とは違う緊張感がある。
そして、自分が受け取ってきたものを自分なりの形で伝える場があるのは、ありがたいことだなと思う。

リトリート終了日の夜、リトリートメンバーと別れてスリランカに向かう。
宿に残る人も数名いるけど、他のみんなはシンガポール経由の国際線。
私も当初の予定ではスリランカへの直行便=国際線で飛ぶ予定だった。
それが1ヶ月ほど前にフライトキャンセルがあって、チェンナイ経由スリランカの便を取り直した=国内線となる。
チェンナイには深夜着で翌日昼前発なので1泊する。

なんだけど、、、
リトリート終了日はみんなでトリバンドラムへ移動して宿に入り(深夜発のため宿を取った)、昼ごはん、買い物、寺院、晩ごはん、残る人たちのこと等、頭の中は忙しかった。
というのは言い訳で、自分のフライトのことをちゃんと考えてなかった。
トリバンドラム空港は小さいし、ゴアの空港と同じ感じでしょ、程度。

タクシーに乗って初めて気付いた。
「国際線?国内線?」と聞かれて、「えーっと、1人は国際線でもう1人は国内線」と言ったら、運転手がキレ気味に「は?どっちだよ」って言ってきた。
「え?場所違うの?」「国内線は海の方、国際線から20分離れてる」とのこと。
あー、やらかしたー。。。
とりあえず国際線に向かってもらった。
その間、運転手の態度が最悪なんで、着いたら私も降りる!
時間は結構あるから大丈夫。
空港に着くとリトリートメンバーがいて、国内線は離れてることを知ったらしく、みんな私を心配している(申し訳ないー、汗)。
時間あるし大丈夫だよーと言ってみんなと別れ、タクシー乗り場に向かった。

タクシーに乗ること20分、国内線ターミナルに無事到着。
予定通り出発し、予定通りチェンナイに着いた。
チェンナイは何年か前に来たことがあるんだけど、空港こんな感じだっけ?と思いながらプリペイドタクシーのカウンターへ。
宿を伝えて支払いし、外に行けばわかると言われて空港の建物を出た。
が、運転手がいるわけでもなく、タクシーもいない。
ウロウロして、何人か人に聞いても「あっちだよ」「こっちだよ」って感じでよくわからない。
指さされる方向からしてこの辺だと思うんだが、、、
そこでやっと気付いた。
アミューズメントパークとかの中で人を運ぶために走っているようなカートがある。
これがタクシー乗り場に連れて行ってくれるカートなのかー。
(そんな表示はないけど)
聞いてみるとやっぱりそうで、カートに乗ってタクシー乗り場へ。

やっとタクシーの運転手に会うことができた。
そしてホテルの住所を伝えるも、場所がわからないらしい。
しかもこの運転手の携帯はガラケー!!
グーグルマップ使えないんか。。。
運転手仲間に場所を教えてもらっていて、全然出発してくれない。
すでに深夜1時半過ぎていて、リトリートの間21時頃には寝ていた私、もうクタクタなんですけど。。。

そして宿に到着。
以前泊まったことがある空港近くの宿で、見覚えがあるのでホッとした。
宿のお兄さんも起きている。
チェックイン手続きをすると、先に支払いして欲しいとのこと。
ところが機械が壊れていてカード払いできないと言われてしまった。
予約の要項にカード払いOKとなっていたので、現金は無い。
明日はスリランカだし、インドの現金持ち帰って今まで散々な目にあってるんで。
そしたらお兄さんが、「今からATM行ってきて。歩いて5分だから」だと。
現在の時刻は深夜2時半過ぎ。
絶対嫌だ。
そんな危険は冒せない。
「疲れていてもう動けないよー」と演技も入れてごねたら、ボスに電話し始めた。
ボスから明日の朝で良いと許可が降りて、やっと部屋に入ることができた。
爆睡。

翌朝、フロントのお兄さんがATMに連れて行ってくれた。
私がお金を下ろすまでATMの前で待っていて、一緒に宿に戻ろうとする。
途中、人が並んでいるチャイ屋があって、「あっ」と行きたい素振りをしても宿帰るよーと待ってくれない。
宿泊者に支払い無しで逃げられたことでもあるんか。

宿に戻って支払い完了後、チャイ屋へ戻る。
朝チャイ飲んでやっとリトリート終了の感慨が来た。
チェンナイはトリバンドラムよりも“インド”。
このごちゃごちゃ感。
あー、インドだわー。







そして次の土地、スリランカへ向かった。