2012年5月8日

ガネーシャ

昨日の静岡での夜のクラス。
最後の瞑想中に隣のビルからヘタクソ(かどうかはよくわかんなかったけど)なカラオケが聞こえてきた。
向かいのスナックからかなぁ。

ガネーシャを思い浮かべてました。
頭が象で体が人間のガネーシャは、障害を与える神様であり障害を取り除く神様。
瞑想を妨げるカラオケはガネーシャからの贈り物?

障害を与えるのと取り除くのが同じ神様って面白い。
多分それは、ガネーシャに愛情があるから?
大丈夫だよって言いながら障害を与えてくれて、取り除いてくれているのかな。

障害は考えるきっかけであり気づき。
取り除くことで新しい歩みとなる。
取り除くってのは乗り越えるってことじゃなくて
乗り越えられるか、乗り越えないのかはどっちでもいいんだろうと思う。
たいして気にすることじゃないのかもしれないし。
でも、障害を与えること、そこに愛はあるんじゃないか。
(どっかのドラマのタイトルみたいだけど・笑)

ここ最近私が感じている何か試練のようなものも、多分愛をもって与えられてるんだ。。
大丈夫だよ〜と。
ガネーシャは障害を楽しむ神様でもある。

Om Gam Ganapataye Namaha









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